
分子運動量子状態のデザインと再構築
紙の上に書いた分子式は分子の骨組みだけを教えてくれますが、実際の分子は空間を飛行し、回転し、振動しています。室温の条件であっても、典型的な分子で1秒間に300 m飛び回り、1011回も回転し、振動は1012~1013回に達します。このように激しく運動する分子の姿をありありと捉えること、その上で、分子の運動を自在に操作することを、私たちは目指しています。
激しく運動する存在としての分子は、19世紀中ごろのマックスウェルやボルツマンによる気体運動論によって認識されるようになり、20世紀初頭における量子力学の成立ならびに分光学的研究の蓄積によって、物理学的描像が確立しました。今では、どのような基本的な化学の教科書でも、分子の振動や回転運動を量子力学的に表現する「波動関数」について記載されています。しかし、波動関数を実験的に決定すること(専門的には「量子状態の再構築」と呼ばれます)は、実は、依然として大きなチャレンジとして残されています。極微の存在である分子を1つ1つ観察することは困難であり、多数個の集団として観測する必要があります。分子がおのおの勝手に運動していると、平均化のために多くの情報が失われてしまうので、全ての分子がそろって運動するようにコントロールする必要があるからです。
分子運動をコントロールするために、私たちはレーザー光を活用します。まず、分子を1ケルビン以下の極低温状態に冷却して運動をストップさせたのち、1ピコ秒(1兆分の1秒)よりも短い強力な光パルスを用いて瞬間的に分子に撃力を加え、運動を励起します。このような「撃力」光による状態分布の変化を精密に測定する方法を、私たちは独自に開発しました。さらに、レーザーパルスを適切な時間間隔で2発続けて照射することにより、そろって右回りもしくは左回りに回転させることにも成功しています。パルス間隔は分子の回転周期(10ピコ秒)程度で、この時間内で回転方向の整列が完了します。そのために、回転のタイミングをきれいにそろえることができ、また、パルス間隔を変えるだけで回転の向きを反転させることもできます。
そろって回転する分子の集団を作り出すことに成功したことは、超高速で運動する分子を「撮影」することへとつながる重要なステップであり、近い将来、「粒子であるとともに波としての性質を持つ」というミクロスケールの物理法則に支配された分子の世界を、明確に視覚化できると期待しています。さらに、撃力光による分子運動の励起は、回転ばかりでなく振動運動にも適用できます。実際に、弱い分子間力で結合した分子集合体である分子クラスターを対象として、大振幅な分子間振動の励起を実現しています。今後は、異性化を効率的かつ選択的に誘起するような、エキゾチックな運動状態を作り出すことに挑戦する予定です。このような研究を更に進めることによって、真に量子論的な枠組みのなかで「望ましい反応のみを進行させる」ための指導原理の確立を目指したいと考えています。
2つの極短光パルスを照射することにより、右回りもしくは左回りにそろって分子が回転する状態を作り出すことができる。2つの光パルス間の時間間隔をピコ秒程度で調整すると、回転方向が反転する。
■References
- H. Hasegawa and Y. Ohshima, “Decoding the state distribution in a nonadiabatic rotational excitation by a nonresonant intense laser field,” Phys. Rev. A 74, 061401-1-4(R) (2006).
- H. Hasegawa and Y. Ohshima, “Quantum state reconstruction of a rotational wave packet created by a nonresonant intense femtosecond laser field,” Phys. Rev. Lett. 101, 053002-1-4 (2008).
- K. Kitano, H. Hasegawa, and Y. Ohshima, “Ultrafast angular-momentum orientation by linearly polarized laser fields,” Phys. Rev. Lett. 103, 223003-1-4 (2009).
- Y. Ohshima and H. Hasegawa, “Coherent rotational excitation by intense nonresonant laser fields,” Int. Rev. Phys. Chem. 29, 619-663 (2010).